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坂本龍馬館
坂本龍馬について
幕末
その他
坂本龍馬館
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坂本龍馬を考えるとき「薩長同盟」「大政奉還」があげられる。
しかし、この二つの偉業も龍馬自身にとっては通過点にすぎず、
龍馬の考えていた夢を実現するには倒幕はあたりまえ、
その手段としての薩長同盟、大政奉還であったと考えられる。
では、坂本龍馬という人間は何を考え、何を理想とし、
何を追いかけ天命を全うしたのか、龍馬の生い立ち、龍馬が出会って
影響を受けた人物、また逆に影響をあたえた人物など、幕末、
明治維新の時代に現れた人々を、坂本龍馬を中心に考えて行きたいと思う。
幕末の時代、この時代にしか誕生しえない人々が数多く排出された
時代でもあった訳で、このあたりが今なお年齢層を超えるファンがいる
理由であろう。坂本龍馬は、土佐高知城下に居を構える
土佐二十四万石郷士坂本八平の次男としてこの世に誕生する。
坂本家では、龍馬に対しあまり期待していなかったようだが、
五人兄弟のひとつ上の姉乙女だけは、何がしかの期待を抱いていた
ふしがある。乙女には何かがみえていたと思われる。そんな龍馬も剣術では
メキメキと頭角を現し、やがて、江戸に出て神田お玉が池の千葉道場で
北辰一刀流を学び免許皆伝の腕前まで上ることになる。
そして、勝海舟と出会い世の中の情報や元来船好きが講じて、
軍艦を学ぶことになる。やがて、勝に頼まれたということもあるが、
神戸の地に海軍操練所の塾頭として赴任する。残念ながら廃校の
憂き目にあうが、この操練所のお陰で後の海援隊を組織する礎となる。
そして、この海援隊や国際法を通し、
倒幕運動に参加していくことになる。しかし、龍馬は巷にあふれる
尊皇攘夷家と違ったのは、一途に日本国の発展を望む上でのことで、
天誅という名目で人を切っていた尊王攘夷派とは雲泥の差があった。
また、株式会社というものにも興味を持っていたとも思われる。
薩摩や長州、脱藩を許された土佐藩からも金を調達し船や銃器を購入したりした。
海援隊発足後には、紀州藩の船に海援隊所有の「いろは丸」を当て逃げされ
沈められたという報告を受け、紀州藩に直談判し国際法に照らし合わせた
賠償金を出させたりもした。
龍馬にすれば、金を出させるのに尊皇派の雄藩も幕府もなかったと考えられる。
実に面白き人物であった。薩長同盟についても徳川幕府に大政を奉還させるには、
薩摩と長州がいがみ合っていてはならないという理由からで龍馬の他にも考えた
人物があったかも分からないが、龍馬でないと成し遂げられなかったことでは
ないだろうか。龍馬の考えた株式会社をつくり外国との貿易で得た利益をもって
国益を豊かにし富国強兵を図りその当時の列強国から日本を守ろうと考えていたと
思われる。また、龍馬の示した船中八策は後に五箇条のご誓文というかたちで
さだめられた。龍馬は夢半ばにしてこの世をさってしまうのだが、明治政府は違う形で
時代の流れを突き進むことになる。
幕末維新のほんの一瞬の瞬間の一番の大業を達成させるために神が
この若者を使わせたのかもしれない。
幕末の人物
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